1979年から続く看板物語
借壁看板だ!!
JR山の手線・駒込駅ホームの外側 にわが社の看板がある。
持主Yさんより場所を借りたのは、こんなきっかけだった。
例えば人目につく広告掲載場所があるとする。 この場所を借りる。
つまり「空き媒体」といって、建物の持主より年間契約で安めに場所を借りてしまい、次に広告主を探して高めに契約する。
その差額が儲けであり、さらにわが社でその看板を書けばまた儲かるという計算である。 駒込の看板はそのように思った「空き媒体」であった。
しかし、一部だけは広告主がついたが、あとは探してもさっぱりだった。
ちょうどわが社で「レタリング教室」をやってみたかったので、それを中心にして自家用の看板を掲げることになった次第である。
コミーの看板は駒込駅のホームより良く見える。
線路沿いの建物の壁を利用した借景ならぬ、 借壁看板である。
本当に効果あるの? さて、零細企業は目立つが先と思っていたから、わが社の看板は、徐々に文章をゴタゴタ並べる看板になっていた。
駅の看板は、取り替えたばかりは誰でも見るが、後は見ない。
本当に効果のあるのは最初の1ヵ月程度である、と思っている。
わが社は本業が看板屋であったので(今はほとんどしていないが)気軽に半月~半年のサイクルでゴタゴタ文を書き替えることができた。
芸術家の卵が、わざわざ金をかけて個展を開くのは、自分のつくったものに対し、誰が何を感じるだろうかとゾクゾクする、そんな気持ちからではないかとひそかに思う。
そして、私自身そういう体験を味わった。
面白い看板だ! 何よりもうれしかったのは、最近その「媒体」であるきれいなビルの持主であるYさん( Y製作所・社長 )が、「自分の家にかかっている看板なのに何が書いてあるか自分の家から見えないのでかけ替えるたびに、わざわざ山の手線のホームにまで行って見ている。
面白い看板だ。何か金をもらうのが悪いようだ。
しかし、この前はあんたのところの宣伝なのに最後まで読まされてしまった」 と言ってくれたことである。
また、中にはわざわざ駒込駅で降りて見てくれる人もいるそうだ。
レタリング教室を始めた動機は、私自身、ズブの素人から看板屋を始めたので何も知らず、随分と無駄なことをしてきたこともあった。
例えば、筆1本買うにも文房具屋または塗料屋から2年近くも買っていた。
しかし看板の筆には専門用があり、イタチや猫の毛の筆でなければ絶対にうまく書けないのである。
ちょっとアドバイスを受け、専門店の電話を教えてもらえば済むことである。
わが社の持っている情報を全部与えよう。
東京は広いので、それによってわが社の仕事の役にも立つ。いろいろ勉強にもなる。
今、道楽息子の通う金儲け本意のデザイン学校は山ほどある。
だが、本気になって勉強したい人たちの教室が一つぐらいあってもよいのではないか――と考えた。
看板は現在もJR駒込駅の田端寄りホームから見えるところにある。
(記 1979)