「水差し」と谷川俊太郎先生への質問
女房、親戚達の話に「わしも…」と、谷川俊太郎、賢作親子の「詩の朗読とピアノとしゃべりの会」(正式名称は忘れた)に連れてってもらった。場所は広大な森に囲まれた伝統ある大学のキャンパス。散歩や伝統あるものを見た後、講堂に入り前のほうへ着席。観客は女性がほとんど。
世の男達はタテ社会とそのストレス解消に時間を潰し、文化的な詩や音楽と聞いただけで遠慮してしまっているのかも知れぬ。私を含めて…。
さて開演。俊太郎先生は立って朗読。息子さんはピアノを弾いた。その時、私にはほんのちょっと違和感があった。高齢で超有名な大先生の前には、なんと紙コップとペットボトルがあった。水差しとガラスコップではなかった。若い私でさえ紙コップとペットボトルは使わない。
ピアノ担当の息子さんが最初に言った。
「皆さんの質問時間を作ります。何でも答えますが月並な質問だけはしないでください。
例えば『子供の教育方針』のような質問は悪い例です。なるべく変った質問を!」
俊太郎先生も「何でもほとんど答えます」とのこと。
詩の朗読とピアノと楽しい親子の会話の後、さて質問の時間が来た。私も考えてみた。出来たぞ。例えばこんな質問。
「講演会は普通水差しですが、紙コップとペットボトルにしたのは事前打ち合わせの時に主催者側からの提案だったのですか?それとも先生側からでしたか?」と。
手をあげようと思った。しかし、女性達が活発に手をあげたので私はあげなかった。質問に対するお二人のそれぞれの答えは感動的だった。例えば誕生祝いの質問が出ると若い人の喜びの祝歌と、年を重ねてしまった人の歌の差をピアノで弾いてみせて大笑いと大拍手であった。
もし私が水差しとペットボトルに関する本当に変わった質問をしてしまったら…。女房以下あらゆる女性達から総スカンを喰うだろう。 「せっかくのこんな素晴らしい会に水を差すな」と。
素直そうな谷川先生は紙コップは使わず「ラッパ飲み」をしていた。私の疑問は解けぬままであった。あるいは私だけが「時代遅れの人」なのかも知れぬ。
でも、味わい深い楽しい会であった。
(記 2004.11)