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とあるスポーツ紙記者殿

「この前まで江川をミソクソに書いておいて、最近の変わりようはなんだいアリャ。前のを見直してみろってんだ。ナニッ、もう捨てちゃってないと。まあ、どうせスポーツ紙はすぐ捨てるものだから、その時売れて、儲かればいいのかい。 そこへいくと、わが看板屋なんぞは何年経っても自分でつくったものの責任は持つよ。 あっ、また宣伝しちゃった。 記者人生が虚しくなったら、看板屋でも始めたらどうなの。教えてやるよ。」 プロ用レタリング教室 生徒募集中 この看板を掲げたら、本当にスポーツ紙記者から「来たい」と電話があった。向こうは大会社だ。怒られたらどうしよう。相棒は「おらあ、知らねえぞ」と笑いながら逃げてしまった。

だが、好意的な取材であったので、ホッとした。取材は生まれて初めてだった。「中日スポーツ」であったが、この新聞だけは江川問題では一貫していたという。立派だと思ったが、よく考えてみると、中日はアンチ巨人。江川が巨人にいる限りアンチ江川を貫くという立場だったわけだ。

なお、その取材以来「中日スポーツ」を買い続けていた。数日して、やっと出た出た!うれしくなって、巣鴨駅の売店の「中日スポーツ」を全部買い占めた。 ただし、その記事は「看板屋が江川をダシに、スポーツ紙をけなし、自分の看板を使って自己宣伝」と見出しがあった。 「朝日新聞」では(これは友人が電話で知らせてくれた)「看板屋さんもの申す」とされ、また偶然に買った「週刊新潮」にも載っているではないか。しかしどういうわけか皮肉を交えて「けっこう痛いところ突いてるよな。でも世の中こんなものと思えばミもフタもないか」とあった(最後の意味わからず)。しかしやはりうれしくなって20~30冊買ってしまった。今も捨てられずに黄色になったまま何冊かある。

宣伝してもらったので、お礼をしなくてはと御礼看板を掲げた。 御礼(前回、当看板の無償宣伝)

・朝日新聞社殿 ・中日スポーツ紙殿 ・週刊新潮殿

総合報道殿この体験に味をしめて、1.看板を書く、2.マスコミに載り宣伝になる、3.注文が来て儲かる…という方程式を考えてみたが、今もってそれ以来マスコミには載らない。 (記 1979.02)

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