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「大病したんですってねぇ」    「えっ、誰が?」 (あっ、俺だった)

54歳。酒は少々。ストレスはなく、心身ともに健康であることが自慢だった。

それが健康診断で引っかかり、1ヵ月後胃カメラを飲んだ。 若い女医は気の毒そうに、「良くないものがあります。あなたの知っている大きな病院か、私の勤務しているT病院に行って下さい。至急です」紹介状2通とレントゲン写真や胃カメラ写真などをもらう。

友達(医者)の話によると胃カメラを見れば、良性か、悪性かさらに極悪のスキルスガンか一発でわかるという。 逸見さんのように極悪のスキルスガンなら近いうち肉体的苦痛を味わいながら、死の恐怖とその世界に突入せねばならぬ。 大変なことになった。それにしてもこれから命を預けられる医者を至急探さなくては…。

たまたま同年の叔父が6年前、重い肺ガンを手術し、命拾いしていた。 彼の強い薦めで、翌日、国立ガンセンターへ行く。

「私が主治医のSです。よろしくお願いします」と丁寧にあいさつされる。 命を預ける医者の人間性と医学レベルにまずは信頼できた。 ひと安心。精密検査の結果はやはり胃ガン。

ベッドや手術の順番待ちの重い日が続く。 こうしている間にもどんどん進行していくのではないか。 こうなったら「ベッドは廊下でもいいから早く切ってくれ」と頼んだ。

また手術して「気の毒だがあと3年の命」と言われたら…、 「よしっ3年で30年分壮絶に生きる工夫をしてみよう」と思えば勇気ある生き方ができるかもしれぬ。 そこで何も知らぬ友達に「もし、あと3年の命だと言われたらどうする?」と聞いてみた。「俺なら南の島でボケーとしているね」と楽しそうに言われてしまい、「壮絶」と「ボケー」が中和されてしまった。

やっとベッドが空き、家族を呼んでの主治医の話。 胃を4分の3切除の予定。もし転移していた場合は全摘。思わずゾーッ。 その日の深夜はベテラン看護婦が長話をしてくれた。手術の前日は男女の麻酔医2人が笑顔であいさつに来た。ここは安心できる病院だ。

やっと手術台の上。麻酔一発でひと眠り。 「手術終わりましたよ」の声で気が付く。痛くも苦しくもなし。 女房、子供や兄の顔が上に見える。 「手術は成功!転移もなかった」の女房の声に思わずVサイン。 胃は4分の3切除、リンパ腺転移ゼロだったとのこと。 5年生存率は90%か。

覚悟していた痛さや苦しさもほとんどなく順調な回復。医学の進歩とシステムの良さに感謝。それにしても生と死は紙一重 。 1年後…

食事量、酒量など完全回復。後遺症も全くなし。入院中は天使だった女房と喧嘩もする。 当分の間、死は遠のいた。

久しぶりに帰って来た息子。 「親父っ。人生観変わったか?」 「変わんね」とだけ私。 仕事の楽しさや、生きている喜びを味わってはいるが、本当にこれで良いのかなぁ…。

その数年後… 「大病をしたんですってねえ」と深刻そうに言う人がいた。 「えっ、誰が?」と聞いてしまった。ああ、俺もガンを切ったんだとやっと思い出した。

凡人の悲しさ、馬齢を重ねている毎日である。(記 2000.02)

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