「志す」とは、成し遂げようとする目標を心に決めること(広辞苑)。
古来「志」について、
「念ずれば花開く」「人生に夢があるのではなく、夢が人生をつくるのだ」
「求めよさらば与えられん」「志」のあるところに道あり。などの言葉があります。
今ではお金の「寸志」が残り、「志」は死語になってしまったのではないでしょうか。
なぜ、我々は「志」を持てないのか?
それは「志」という言葉を何万回と言い続けないからではないでしょうか。
ウェルチGE会長(社員22万人・利益全米ナンバーワン)は、リーダーの条件として「ビジョンを正確に伝えること。私は『組織の壁をなくす』を8兆回は繰り返した」とあった(日経ビジネスより)。8兆回の繰り返しは、本当かなと思うが、毎日朝から晩まで続けたのだろうか。
なぜ我々は、繰り返し続けられないか?
それは、偉大なウェルチと違い、言い始めてもすぐ忘れてしまうか、繰り返しても聞いてくれる人がいないからではないかなぁ。
【結論】
「志」「夢」を語り合いたい方、そして「志」「志」と繰り返して言ってみたい方、すぐFAX下さい。お互いに飯でも食いながら、どんどん語り合いましょう。
ところで、この文に「志」と「なぜ」の言葉は何回出ていましたか?(記 2001.01)