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「なぜ、東大と自民党の早急な解体を望むか?」の看板とホームページを出してみて(「なぜと夢」シリーズNo.2-2)

「過激だ!!」   慎重に決めたが、現場をみて考え込んだ。

この看板を書くにあたり、数人の友人に相談しながら、これならOKと思って取り付けてもらった。しかし、現場の見出しを見て、書いた本人がどうも嫌になった。見出しが過激風だったからである。 やはり、ホームページを見た一人のお客様から「過激と思う。会社のホームページと駒込通信を別扱いしては?」とアドバイスしてくれた。 また、批判をするにも情報が不十分であった。肝心の有馬氏の文が著作権の関係で同時には載せられなかったからである。では日経ビジネスにリンクして有馬氏の文章にたどり着けるかと、電話で聞いてみたら、「一部は有料でやっているが、有馬氏の文は著作権の問題でできない。バックナンバーならあるので買ってもらう他はない」とのことだった。 ホームページを見た知り合いで、教育やインターネットに強い研究者から「看板のもとになった有馬さんの主張がよくわからない」とメールが来た。彼に文章を見せたが、これだけでは議論ができないのでは?という。

ゆとり教育の目的も知らず、 「ゆとり教育批判はお門違い」文を批判してしまった。

日経ビジネスの文章には、議論の焦点もゆとり教育の目的も明確には語られていなかった。私はゆとり教育と称するものを全く知らないことに気づいた。日経ビジネスの読者はどのくらい知っていただろうか? 定義や目的があいまいだと議論も始められないのである。 ゆとり教育とは、「従来の知識偏重型の詰め込み式教育を改め、創造性や個性を育てる教育への方向変換」であるという。そのために「教科の時間を減らす」ということらしい。 これらは、のちにそれぞれの学校が、子どもたちの興味関心に基づいた活動をしたり、教えてもらったり、といった関係づくりを自分たちの手で組織できる。立派である。

ところが、お上からの上意下達態勢が隅々まで染み付いているために、本来個性や創造性を育てなければならない先生自身が、自ら判断して動けない体質になってしまっているという。 先生も気の毒だ。子どもの将来を考えつつ面白いことをしようと思っても、身動きがとれず、父母、校長、同僚などの評価を気にし、ストレスを感じながら生きているのだろう。 そんな話を聞いていると、日本人は自分の考えを主張すると損かなぁと迷ってしまう。

誰がした。国民1人当たり600万円の大借金!!

アメリカ人は自分の考えを主張するという。 大統領選でもアメリカの新聞は誰を支持するかはっきりと言う。 日本の2大新聞は誰が総理がいいか、政党は何党がまともか言ったことがない。弱そうになったら叩く。我々個人の多くは「私は○○さんに投票する。なぜなら…」などと言ったことはない。会社で友達にも家族にも言わない人が多い。我々は批判はできるが、提案できない民族かも知れぬ。 30年ほど前だったか、永井道夫文部大臣が「今まで東大を頂点とする富士山型だったが、これからは八ヶ岳型に移らねばならない」と言った。また、東大総長だった大河内一男氏が卒業式で「太った豚になるより、やせたソクラテスになれ」と言っていた。 ところが、東大出の一部の官僚は大銀行べったりだった。 「ノーパンしゃぶしゃぶの大蔵官僚」「ここまで腐った警察官僚」

そして10年近くにわたり景気対策と称して族議員と組み、我々がクソ真面目に税金を納めているうちに日本全土を国民1人あたり600万円という大借金コンクリートにしてしまったのは、荒っぽい言い方をすれば、自民党と一部の東大出の利権集団ではなかったか? ほんの一部の人と思うが、そのため東大出のブランドが落ちてしまった。 私は政治のずぶの素人なので、真因は間違っているかもしれぬ。 間違いを指摘されると人は成長する。 しかし、今これらを早急に改めなくては生きられない時代と誰もが思い始めた。

勇気ある銀行頭取出現!!  日本も密室利権政治から、オープン政治になるかも……

長野県の勇気ある名門頭取が、利権社会と全く関係のない作家の選挙応援をしたのである。頭取が応援しただけで大騒ぎとなった。短期的に銀行にとって損をすることはあっても儲かることはない。負けたら頭取は辞めたであろう。 知事の一歩手前までいった副知事は上に忠誠、下には部下を増やし続けてタテ社会の階段を昇り続けていた。

それが、自分の思いをありったけ言い続けただけの作家に知事選で負けたのである。 インターネットの発達もまたタテ型密室利権社会から自分を主張できるヨコ型オープン社会へと大きく変化してきた。

消した看板へ、KG氏(著述業)よりもらったファックス

前略 先般、JR駒込駅ホームから、掲示されていました貴論(教育論)を拝読し、感銘を受けた者です。 小生も、全く同様の感慨をかねて抱いていたからであります。 全文を、カメラに収めて記録したいと考え知友、ジャーナリスト等を誘って出向きましたところ、 看板が消され、意を果たせませんでした。

つきましては、恐縮ながら、「教育論」全文の原文でもおありでしたら、拝見できないでしょうか。(後略)

東大解体は私の認識不足だったか?

先日テレビで、安藤忠雄氏の「古いものを大切に」という素晴らしい話を聞いた。 大学をろくにでなかった安藤氏は、東大教授になっていた。 昔、東大教授で丹下健三氏(昔、都庁を建て、また30年後に建替えた人)がいたが、かなりダーティーなイメージがした。 だが、安藤氏の一件で私の東大のイメージも変わった。(記 2000.01)

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