私もすでに84歳。
新卒で技術屋としてサラリーマン生活を始めたが、長く勤まらず3年半で退職。いろいろな見習いをして職業を転々。
そのうちシャッターに文字を書けば飯が食えることを発見。駒込で看板屋として創業。弟子も来てくれたので会社設立。
当看板(「駒込看板」と社内で呼んでいる)も書き始めて半世紀。
仕事場は車2台分の車庫の跡だったので冷暖房・トイレなし。そんな中、突然、駒込看板を見て我が社に笑顔で立ち寄ってくれた人あり。
雑誌『商店建築』の元編集人。また、日本翻訳出版文化賞を受賞したすごい人・菅谷良夫さん。文章創造能力がかなりあった。
故・菅谷さんは、コミーを面白がってくれて「出会いの喜び・創造の喜び・信頼の喜び」 というコピーを作ってくれた。
一番面白いのは出会いだと思う。
「私の父と母が出会わなかったら?」
「菅谷さんに出会わなかったら?」
「駒込看板をしなかったら?」
と考えると、今のコミーは無かったと思う。私の残り人生はもっといろいろな人に出会いたい…。
売上げの拡大よりも「出会いの喜び・創造の喜び・信頼の喜び」を大切にする会社。
コミー株式会社
創業者 取締役相談役
小宮山 栄
